【読書】高木徹 『大仏破壊―ビンラディン、9・11へのプレリュード』

 以前、高木徹氏の『戦争広告代理店』を読みました。今回は同作者の『大仏破壊』を。

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ソ連のアフガン侵攻

 1979年、ソ連のブレジネフ政権が、親ソ政権を支援し、イスラーム原理主義ゲリラを抑えるために侵攻しました。当然アフガニスタン人はゲリラで対抗します。アメリカは彼らに武器を提供していました。ソ連は1989年までの10年間アフガニスタンに駐留することになりますが、結果、撤退。このアフガン侵攻がソ連の経済を圧迫し、ソ連崩壊の原因のひとつになったともいわれます。

アフガニスタン無政府状態

  ソ連撤退後のアフガニスタンは無政府状態に陥ってしまいました。ソ連に対抗して民兵組織で対抗してきたアフガンの人々はソ連という敵がいなくなったあと仲間割れを起こして戦い始めました。そもそもアフガニスタン単一民族国家ではなくパシュトゥーン人、タジク人、ハザラ人、ウズベク人などの民族が入り混じっています。その上、同じイスラム教徒ながらスンニ派シーア派などで派閥があり、ソ連という共通の敵と戦っていた人々も派閥同士で団結したあと、自らの支配地域を広めようと戦いにあけくれたのです。兵士たちは都市だろうと山村だろうとところかまわず略奪、強盗、誘拐、殺人、強姦と市民を相手に無法の限りをつくします。

タリバンの登場

 そんな中、登場するのがタリバンです。タリバンは最初は十数人の学生たちの集まりでした。タリバンとは「神学生」を意味する「タリブ」の複数形です。パキスタンからトルクメニスタンへ物資を運ぶトラックが山賊に襲われ、タリバンがその山賊を撃破し、物資を守ったことから一躍ヒーローとなります。市民はタリバンを歓迎しました。タリバンは若者の集まりらしく、高潔な精神をもっていました。それはアフガニスタンを統一し、治安を回復・維持することです。タリバンは破竹の勢いで支配地域を増やしていきます。事実、タリバンの支配地域は治安も回復していました。

タリバンの指導者とアルカイダの指導者

  タリバンはもともとは学生の集まりでした。リーダーはムハンマド・オマル。彼はタリバンの功績をたたえられ、イスラム法学者からアミール・アル・ムーミニーンの称号を与えられます。アミール・アル・ムーミニーンとは「イスラム教の指導者」という意味です。片田舎の無学の学生がイスラム教の指導者になった瞬間でした。

 1996年、アフガニスタンにある男がやってきます。オサマ・ビンラディンという男です。彼はサウジアラビア出身のアラブ人で、実家は大金持ち。大学在学中にイスラム原理主義に傾倒します。ソ連がアフガンを侵攻した際に、アフガニスタンに来て銃をとり一緒に戦っています。アフガンでは戦士というより、実業家としての手腕を発揮し、アフガンにやってくる義勇兵に一時滞在できる場所を提供、軍事訓練などもほどこして組織作りをおこなっています。この組織のことを「基地」を意味する「カイダ」と呼びました。それに定冠詞の「アル」をつけて「アルカイダ」となります。

 

「勧善懲悪省」

 アミール・アル・ムーミニーンになったオマルは勧善懲悪省を設けます。勧善懲悪省とはイスラム教の美徳を市民に推進し、悪徳を防止するためのものでした。いわば宗教パトロールで、イスラム教とは関係のないものまで禁止しています。たとえばテレビ。ムハンマドが生きていた時代にテレビなどあるわけなく、ということはムハンマドがテレビを禁止などしようがないのに「悪魔の箱」として禁止していました。ほかにも髭剃りの禁止、たばこの禁止。凧揚げの禁止、鳩を飼うことの禁止、手品も禁止、髪の毛をビートルズカットにするのも禁止などなど。指導者になったオマルは田舎の出身で、教育もほとんど受けておらず、イスラム教の知識も乏しかったために『自分たちの村で行われている古い慣習こそ良い』と勘違い。ソ連侵攻前はアフガニスタンでも女性はミニスカートをはいていましたが、勧善懲悪省の下ではブルカのみとなりました。

 この勧善懲悪省がバーミヤンの大仏破壊を悲願としていたようです。バーミヤン地域にはタリバンの支配に抵抗するハザラ人がいました。ハザラ人もイスラム教なのですがシーア派でした。タリバンスンニ派であり、シーア派を、ハザラ人を敵視していました。ハザラ人はバーミヤンの2体の大仏を「お父さん」「お母さん」と呼んで親しんでいました。勧善懲悪省はイスラムが禁止する偶像崇拝という理由だけでなく、ハザラ人のいわばシンボルをぶっ壊してやろうとしていたのです。

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 大仏破壊を阻止するために

 大仏破壊を阻止するために各国、国連が働きかけます。1度目の破壊はなんとか思い留まらせますが、結局、仏像は破壊されてしまいます。アフガニスタンの統一と治安を回復させようとしていたタリバンとその指導者オマルはどうして仏像を破壊してしまったのでしょう。オマルは田舎からでてきた青年でした。ビンラディンは大学も出ており、財もあった。そのうえメッカのあるサウジアラビア出身です。オマルはイスラムの祖ムハンマドが話していたアラビア語は理解できません。オマルはビンラディンに引け目があったようです。そこを目ざといオサマ・ビンラディンはつけこみました。「あなたはすばらしい指導者だ」といっておだてる、アルカイダを使ってタリバンの軍事援助をする、財政的な援助をする。タリバンという組織はどんどんビンラディンにのっとられていきました。

 2つの大仏、二つの塔

  人々の努力むなしく大仏は破壊されました。タリバンの中にも大仏を守ろうとしていた人がいたことが本書を読むとわかります。大仏が破壊される直前になって慌ててアフガニスタンに目をむけるようになった国際社会も批判されるべきでしょう。以下のような本もあります。アフガンが内戦で荒廃していたころ、アフガンは未曾有の旱魃にも襲われていました。

アフガニスタンの仏像は破壊されたのではない恥辱のあまり崩れ落ちたのだ

アフガニスタンの仏像は破壊されたのではない恥辱のあまり崩れ落ちたのだ

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 9.11以降、当時のブッシュ政権タリバンを攻撃。アフガニスタンには各国の軍が駐留しました。ビンラディンは殺害されたといわれます。それでもなお、このような記事を2016年にもなって目にします。

www.cnn.co.jp

 また外務省はイスラム教の犠牲祭期間中の注意喚起に係る広域情報を発出しています。

www2.anzen.mofa.go.jp

 大仏破壊が9.11のテロにつながったのは過言ではないでしょう。もし、大仏の破壊を止める事ができていたら、あのテロを止めることもできたかもしれません。

大仏破壊―ビンラディン、9・11へのプレリュード (文春文庫)

大仏破壊―ビンラディン、9・11へのプレリュード (文春文庫)

 

 

 

 

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