【読書】寺田寅彦『天災と国防』
夏目漱石の『我輩は猫である』で水島寒月という物理学者がでてくる。この男は主人公の猫の飼い主、苦沙弥先生の元教え子である。この水島寒月という男のモデルが寺田寅彦なのだそうだ。実際、夏目漱石と寺田寅彦は交流があったらしい。寺田寅彦は学者でありながら、多くの著作を残し、学者というよりも文筆家としてのほうが有名かもしれない。本書は寺田寅彦がいろいろな雑誌に寄稿した災害にかかわる文章を集めてまとめたものである。この本は講談社学術文庫から2011年の6月に出版された。東北でおこった地震と津波のあと急遽まとめられたのだろう。本書には地震の話、火事の話、津波の話、そして火山の噴火の話がでてくる。
それに、文明が進むほど天災による損害の程度も累進する傾向があるという事実を充分に自覚して、そして平生からそれに対する防護策を講じなければならないはずであるのに、それがいっこうにできていないというのはどういうわけであるか。(p.p15 より)
文明が進めば進むほど、そこに住む人はその文明に頼りきり、それが天災等で失われると、災害は思った以上に大きくなっていく。これに対して、我々は備えが必要であるし、歴史から災害の被害やその対策を学ばなくてはならないのに、今の日本はそれをちゃんとやっているといえないのではないかと思う。本書の144ページ『津浪と人間』の章にこんな追記がある。
(追記)三陸災害地を視察して帰った人の話を聞いた。あう地方では明治29(1896)年の災害記念碑を建てたが、それが今では二つに折れて倒れたままになってころがっており、碑文などは全く読めないそうである。またある地方では同様な碑を、山腹道路の傍で通行人を最もよく眼につく処に建てておいたが、その後新道が別に出来たために記念碑のある旧道は淋れてしまっているそうである。それからもうひとつの意外な話は、地震があってから津浪の到着うするまでに通例数十分かかるという平凡な科学的事実を知っている人が彼地方に非常に稀だということである。前の津浪に遭った人でも大抵そんなことは知らないそうである。(昭和8(1933)年) (p.p 144)