【読書】阿部謹也『ハーメルンの笛吹き男』

 鼠の大量発生で困ったハーメルンの村にある男がやってきた。鼠を駆除するから、成功したあかつきには大金をよこせと言う。村人達は了承した。男は懐から笛を取り出すと、それをひゅいっと吹いた。たちまち鼠が集まり男の後ろをついていった。崖にさしかかり、鼠は身投げするように死んでいった。男は鼠退治の報酬を村人達に催促するが、村人達は支払いを拒んだ。男はまた懐から笛を取り出し、不思議な音楽をかなでると村の家々から子ども達が躍り出てきた。村中の子ども達は不思議な男に連れ立って村を出ると、どこか遠くへ行ってしまった。村の大人達が子どもが居なくなったことに気づいたときには一足遅く、130人もの子どもが村から忽然と消えてしまったのである。

 

ハーメルンの笛吹き男―伝説とその世界 (ちくま文庫)

ハーメルンの笛吹き男―伝説とその世界 (ちくま文庫)

 

  ハーメルンの笛吹き男とは上のような話で知られているように、村人が助けてもらったにも関わらず、報酬をしぶり、その罰として子どもを失うというのがよく知られた話です。本書はそのハーメルンの笛吹き男の伝説を通して、13世紀ごろのドイツ社会を探っていくものとなっています。

 ヨーロッパと日本人が聞くと石畳と美しい建築などを思い浮かべておしゃれなイメージをもちますが、決してこのころの農村は豊かとは言えず、生きるのに精一杯でした。伝説にはいろいろな説があり、

 

東方への植民のため、若い人々が村を旅立った説

 長男として生まれれば両親からの土地を譲り受け生活をすることができましたが、次男、三男は村で生活することは難しかった。そこで、豊かと噂されていた東方への移住、植民が行われます。今の村では生活が厳しいと感じた若者が東方へ連れ立って旅立つ様を笛吹き男に連れられていくさまと重ねたというのがこの説です。

植民の旅路で遭難してしまった説

  東方への植民の際に集団で遭難してしまった、というのがこの説。

子ども十字軍遠征説

  子どもたちがキリストのお告げだ、モーゼのお告げだと称し子ども達で十字軍を結成し、村を出て南方へ向かった説。現代と違って当時の子どもは庇護されるものではなく、大人の小人版だと思われていました。当時の画家ブリューゲルに出てくる子ども達は無邪気な顔をしているとはいえず、どこか険しい表情をしているように見えます。

子供の遊戯 - Wikipedia

 実際にフランスやドイツではしばしば子ども達が軍を編成してジェノヴァまで行ったり、途中で道に迷って大人たちに騙されアフリカに奴隷として売られてしまったという記録もあるよう。

子どもたちが祭りの日に沼にはまって死亡した説

 夏至の日の祭りに街から離れた崖に火をともす習慣があり、祭りの興奮で火をつけに行った子どもたちが底なし沼にはまって脱出できず死んでしまいました。中世、楽師・芸人は賎民扱いであったため、子どもたちの事故の責任を彼らに転嫁し、楽師が悪い奴だ!という言い伝えが残っていった説。「悪いことをするとなまはげが来るぞ」と脅すのと似ているのかもしれません。

 他にも、地震による山崩れで死亡した説、ペストに似た疫病による死亡説、新兵として召集された説など、いくつかの説が出てきますが本当のところは分かりません。ただ、われわれが思うよりも中世ヨーロッパは貧民差別、女性差別ユダヤ人への差別と人々の貧困が暗い影を落とし、それが『ハーメルンの笛吹き男』伝説に流れる一種の暗さ、不気味さを形成しているのかもしれません。

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